浜松市東区半田山 
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創建
開創は不詳。

奈良時代、現在の地域に大きな集落があり祈願所が設けられていたことで、およそその頃の開創と推測される。

元亀3年(1572年)12月、三方原合戦に敗れた徳川家康公が境内の阿弥陀堂に身を隠し難を逃れたという記録から、それより以前から堂宇が存在していたと思われる。

現存の記録より
当寺創建の由来は、正親町天皇の御宇天正2戌年(1574年)、住僧把公(津叟把公和尚)なる者、村民と協力して堂宇を建立す。仍って開基と称す。
同暦、本寺龍秀院玉山和尚(玉山全瑳)を請して開山となす。
その後、寛政9年(1797年)龍秀院13代懐峯東州なる者、檀徒と協力して本堂を再建す。当暦に至って322年の星霜を経
                      明治28年5月

とあり、現在の本堂は223年経っている。(令和2年現在)




阿弥陀堂
阿弥陀堂(浜松市の史跡となっている)は

当寺境内に安座の阿弥陀仏は、座躰木造、昔時より行基の手作りと口伝にあり、而して霊験ある事広く世人の知る処。
堂宇は天正2戌年(1574年)、住僧把公なる者、衣資の余財を喜施し郷村信民の浄財を集募建立す。
降て慶安元子年10月24日を以て、徳川家光公より阿弥陀堂領として、高弐石目の朱印を拝戴し来たりしを、明治5年(1872年)に至り上地す。
是より前、宝永3戌年(1706年)8月、住僧藝公なる者、堂宇を再建す。創建以来今日に至る歳を経る322年。
                       明治28年5月

という記録が残っている。現存の阿弥陀堂は314年経っている。(2020年現在)




朱印の記録
朱印の記録は

遠江國長上郡半田村阿弥陀堂領同村之内弐石事任先寄附之記全可収納 併 別当龍泉寺中山林竹木諸役当免許如有来弥不可有相違者也

という9通の写しがある。
家光公、綱吉公、吉宗公、家重公、家治公、家斉公、家慶公、家定公、家茂公より賜ったものである。




家康公と阿弥陀堂



三方原の合戦で敗走した家康公は、たまたま見つけた阿弥陀堂に隠れました。そして、ご本尊の阿弥陀如来に一心に祈りました。戦の疲れかしばしまどろみ、夢に現れた阿弥陀如来より軍略を授かりました。
普済寺に火を放ち浜松城が焼けたと見せかけ、攻め来る武田軍を欺き、犀ヶ崖に布端を掛け倒す。という軍略にて浜松城は落城を免れました。
そうした由縁より、三ツ葉葵を寺紋として許され御朱印を賜りました。
遠州大念仏は、犀ヶ崖で亡くなった武田の兵を弔う為に始まったと伝えられています。





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