◆本来の面目(1)
本文
気に入るものもあるが、気に入らないものもある。あるということは、どちらも問題にならず自分のところに現成している。 迷おうとおもうても迷われんように出来ている各自の今の在り様です。それ程はっきりした確かな道があるということです。
ところが長い間の悪習慣があって、一念心というものがチラッと動くと、それに依って考え方に落ちる。
それだけ立脚地が違うということです。凡聖の分かれるところです。
事実は同じ生活、同じ生活者。自分自身の全身を挙げての必然性に任せて、必然性の良薬をおあがりなさい。そうすると必ず救われる。
それが仏教の教えです・・・
提唱
「令和」という時代が始まりました。いつの時代も良いこと悪いことがありますが、最近の様々な出来事に不安を感じずにはいられませんね。
先日、郵便局である事務手続きを行ったときの話です。金融機関はいろいろと煩わしいことが多くなりましたが、特に法人や任意団体等はなかなか簡単ではありません。
その日も1時間半以上待たされて、まだ窓口の向こうでは何やら慌てた動きが。明らかに何かミスをしことは素人目でも分かりました。
窓口で担当した女性は現場から姿を消し、代わって他の職員が作業を始めました。一体何をしているのかの説明もなく、対応の悪さにいい加減嫌気が差しました。
待たされるのは誰しも好きではないとは思います。人の感情から物事を見ると、気に入らないことは際限なく現れます。一方、自分のこの身はいつでもこの身のあるところと親しく、人の動きも目の前にあるポスターもただその通りにあり、待たされているという争うような気配は少しもありません。
必然性という良薬は、人の好き嫌いに関係なく 、服する者をその患いから救ってくれるものです。
◆本来の面目(2)
本文
自分に持ち合わせておる五つの機能、如実に活動する五つの機能、目、耳、鼻、舌、身、五つの器官を通じ確実に残りもののない活動をしている実物を本当に見てもらう。考え方を捨てて。考え方と事実との違い。誤りを起こす根源は、人が気に入る入らんに関係なくあるその事実から離れて、考え方の上で事実を眺める。あるという事は、みな自分の消息です。
初めて聞く、その音が、今、自分のところに直にある。実に微妙な、すばらしい人の本来の面目です。
こういうことは、考えることでも、理解することでもなく、今の各自が触れている事実、その実証が欲しいのです。
提唱
玄関を出たところの草むらで「リーン・リーン」という綺麗な音色が聞こえ、ふと出かける足が止まり、心を奪われました。子供の頃、鈴虫を飼ったことがありましたが、まだこんな近くで野生の鈴虫がいることにうれしくなりました。
鈴虫の鳴き声が聞こえるというと、普通には向こう側の鈴虫のこととして私たちは認識しています。しかし実際には、この身体の機能を通して、例えば聞こえるということは、耳の機能を通してその事実に触れます。実は私たち自身の消息です。鈴虫が鳴いていたね、と言うと一応に皆さんは理解も想像も出来ますが、この文章からその音色は聞こえないように、鈴虫の鳴き声は、その音色が奏でられているときにしか触れることが出来ないよう、この身体の機能は出来ています。しかも、前の音色がどこかに残るようなことがなく、今の音色だけがちゃんと聞こえる。
これは私たちの身体に最初から具わっている基本の働き、機能です。そこを離れ考え方で扱えば、今、事実としてないものまで取り上げて、何が事実なのかがはっきりしなくなります。
「リーン・リーン」事実はこれだけです。
本文
気に入るものもあるが、気に入らないものもある。あるということは、どちらも問題にならず自分のところに現成している。 迷おうとおもうても迷われんように出来ている各自の今の在り様です。それ程はっきりした確かな道があるということです。
ところが長い間の悪習慣があって、一念心というものがチラッと動くと、それに依って考え方に落ちる。
それだけ立脚地が違うということです。凡聖の分かれるところです。
事実は同じ生活、同じ生活者。自分自身の全身を挙げての必然性に任せて、必然性の良薬をおあがりなさい。そうすると必ず救われる。
それが仏教の教えです・・・
提唱
「令和」という時代が始まりました。いつの時代も良いこと悪いことがありますが、最近の様々な出来事に不安を感じずにはいられませんね。
先日、郵便局である事務手続きを行ったときの話です。金融機関はいろいろと煩わしいことが多くなりましたが、特に法人や任意団体等はなかなか簡単ではありません。
その日も1時間半以上待たされて、まだ窓口の向こうでは何やら慌てた動きが。明らかに何かミスをしことは素人目でも分かりました。
窓口で担当した女性は現場から姿を消し、代わって他の職員が作業を始めました。一体何をしているのかの説明もなく、対応の悪さにいい加減嫌気が差しました。
待たされるのは誰しも好きではないとは思います。人の感情から物事を見ると、気に入らないことは際限なく現れます。一方、自分のこの身はいつでもこの身のあるところと親しく、人の動きも目の前にあるポスターもただその通りにあり、待たされているという争うような気配は少しもありません。
必然性という良薬は、人の好き嫌いに関係なく 、服する者をその患いから救ってくれるものです。
◆本来の面目(2)
本文
自分に持ち合わせておる五つの機能、如実に活動する五つの機能、目、耳、鼻、舌、身、五つの器官を通じ確実に残りもののない活動をしている実物を本当に見てもらう。考え方を捨てて。考え方と事実との違い。誤りを起こす根源は、人が気に入る入らんに関係なくあるその事実から離れて、考え方の上で事実を眺める。あるという事は、みな自分の消息です。
初めて聞く、その音が、今、自分のところに直にある。実に微妙な、すばらしい人の本来の面目です。
こういうことは、考えることでも、理解することでもなく、今の各自が触れている事実、その実証が欲しいのです。
提唱
玄関を出たところの草むらで「リーン・リーン」という綺麗な音色が聞こえ、ふと出かける足が止まり、心を奪われました。子供の頃、鈴虫を飼ったことがありましたが、まだこんな近くで野生の鈴虫がいることにうれしくなりました。
鈴虫の鳴き声が聞こえるというと、普通には向こう側の鈴虫のこととして私たちは認識しています。しかし実際には、この身体の機能を通して、例えば聞こえるということは、耳の機能を通してその事実に触れます。実は私たち自身の消息です。鈴虫が鳴いていたね、と言うと一応に皆さんは理解も想像も出来ますが、この文章からその音色は聞こえないように、鈴虫の鳴き声は、その音色が奏でられているときにしか触れることが出来ないよう、この身体の機能は出来ています。しかも、前の音色がどこかに残るようなことがなく、今の音色だけがちゃんと聞こえる。
これは私たちの身体に最初から具わっている基本の働き、機能です。そこを離れ考え方で扱えば、今、事実としてないものまで取り上げて、何が事実なのかがはっきりしなくなります。
「リーン・リーン」事実はこれだけです。

